DORAEMON 50th ANNIVERSARY

藤子・F・不二雄

本名 藤本弘(ふじもとひろし)

1933年12月1日、富山県高岡市生まれ。
1951年『天使の玉ちゃん』でまんが家デビュー。
藤子・F・不二雄として『ドラえもん』を中心に執筆活動を続け、
児童漫画の新時代を築く。
主な代表作は、『ドラえもん』『オバケのQ太郎(共著)』『パーマン』
『キテレツ大百科』『エスパー魔美』『SF短編』シリーズなど、
数多くの傑作を発表した。
2011年9月「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」開館。
執筆した原画を展示する、藤子・F・不二雄を顕彰する美術館。

「子ども漫画と私」

藤子・F・不二雄

 結論から先に書けば、私が漫画をかくに当たっての姿勢は“良質の娯楽を提供したい”ということ、これにつきる。単純明快。他には何もない。しかし、これだけでは与えられたスペースが埋まらないので、ことさらに単純明快な命題を、解読することによって混沌とさせ、補足することによって、ややこしい大論文にまで発展させようと思う。つまり、以下は蛇足である。

 漫画家生活二十七年。一貫して“楽しんでもらうための”漫画をかきつづけてきた。“おもしろい漫画”それこそ至高至善の目的である。
 ことさらにいうまでもない。ごく当たり前のことだと、私は信じている。しかし、それをことさらに口にすると、必ずしもすんなり通じるとはかぎらない。むしろ通じない場合のほうが多い。

 「私の漫画ですか? 娯楽です。他に何か? ありません。ただそれだけ」
 このセリフ。まず素直には受けとってもらえない。一種の居直り、または謙遜とさえ誤解されることがある。とんでもない! 当方胸を張って誇りをもって言っているのです。大勢の人をおもしろがらせる。立派じゃないか。素晴らしい社会的公共的労働ではあるまいか。(もし、誰もおもしろがってなどいないとしても、それはあくまで私個人の技術面での問題であって、私本来の意図とは無関係である)
 なぜだろう。むしろ自讃のつもりの言葉を、へりくだりと受け取られるような、喰い違いが起こるのは、どうしてだろう。

 一般に“娯楽”という言葉は“教養”と対置され、いちだん低く位置づけられている。これは“労働”に対する“遊び”の位置づけに似ている。いずれの場合にも前者は神聖視され、後者にはなにやら後ろめたい雰囲気がつきまとう。これは偏見である。いずれも生きて行く上に不可欠の物であるという意味では、等価と見なすべきではなかろうか。

 ひとつには、“楽しむこと”の容易さが軽視される原因かもしれない。なんの苦労もなく、容易に入手できる“娯楽”に高い価値などあろうはずがない。「良薬は口に苦し」というではないか、そこへいくと“教養”を身につけることの、なんと難く労多いことか-----と、これが一般的な見方である。(厳密には、本論にはいる前に“教養”“娯楽”の定義から始めねばならない。両方ともおそろしく幅広い意味を持ち、その境界もかなりあいまいだからである。たとえば、完成された娯楽の一つである古典落語のおもしろさを真に理解し得る人は教養人というべきであり、難解な学術論文を読んでも、それに興趣を覚え、知的興奮を誘われるなら、その人にとってその論文は娯楽的側面を持つわけだ。こういう捉えどころのない言葉の定義は、私の手に余るし、本稿の本筋からも外れるので省略させていただく。以下“教養・娯楽”と書けば、誰もがなんとなくわかったつもりになっている。あの教養・娯楽のことだとご承知ください)

 しかし、無理もないと思えるフシもある。教養が娯楽より価値がある物と見なされていることが、である。いや、むしろこれは必要なことなのかもしれない。何分にも教養には資本の投下が必要だ。一般に教養は、受けた教育の量に比例すると考えられている。知識イコール教養とさえ信じてる人もいる。難解な言葉で語る人は尊敬され、平易に語る人は軽んじられる。まして話がおもしろかろうものなら、全く権威を認められない。これが逆だったら? 易きにつくのは人の習い。もし教養が、より高き物とされていなければ、誰が見向きもするものか。莫大な資本を投下し、難解な読書に脳漿をしぼるのも「自分はいま、教養を積みつつあるのだ!」という崇高な自覚に支えられればこそ、できることなのだ。

 というわけで、娯楽は軽んじられ、娯楽の中でも漫画はさらに低い位置しか与えられてない。最もとっつき易くおもしろい故である。困ったことに一部の編集者、漫画家にもこうした意識が見受けられるようだ。漫画は娯楽ではないという。芸術であるという。芸術的漫画は確かに存在する。それはそれで素晴らしいことである。しかし芸術性の獲得は漫画の目的のすべてではない。非芸術的ハチャメチャ漫画も、それがおもしろければ立派に存在価値があると思う。漫画は文学に比肩し得るか、と論じる人がいる。目的も機能も異なる二つのジャンルに、背くらべさせてどうなるというのだろう。漫画が、漫画独自のおもしろさを追求するだけでは、なぜいけないのか。娯楽であっては、なぜ悪いのか。

 もっとも、実際には“純粋の娯楽”を生み出すことは難しい。むしろ不可能といっていいかもしれない。作者の意図とは関わりなく、一面も含まれてくるのはやむを得ないことである。
 例えば知識の吸収である。現在は漫画も漫画家も氾濫している。こんな中にあって読者の興味を惹き続けるのは容易ではない。自然、漫画家としては、目新しい素材を漫画に採り入れるべく、骨身をけずるのである。たんねんにお読みになればわかるが、天文学、生物学、医学、心理学、考古学……。いまの漫画に扱われていない分野はないくらいに幅広く、さまざまな情報を提供している。もちろん、あくまでも広く浅くではあるが。しかし、これがきっかけとなって読者が、その分野の学問に興味を持ち、意欲的に学習することがあったとしても、それは副作用であって漫画家の責任ではないのだ。

 漫画の特性の一つにがある。意外性といってもいい。思いがけない発想こそ漫画の最大の武器である。ひとつの事物を、正面からだけではなく、裏から斜めから見る。正に水平思考だ。読者は、こんな見方もあったのかと驚かされる。新しい視点の発見は、即ち創造につながる。現実にはありえない空想の世界も、漫画は身近にいきいきと描き出す。読者は触発され、さらに自らの空想の翼を広げて行く……。
 と、いった効用があったとしても、それは作者の知ったことではない。
 私としては、ひたすら“良質の娯楽”をのみ、提供し続けたいと願うのであります。

(小学館「本の窓」創刊零号 1978年2月1日発行 より)

「ぼくは"のび太"」 

藤子・F・不二雄

 子どものころ、ぼくは"のび太"でした。今でも多少のび太ですが、昔はほとんど完全に"のび太"でした。

 テストで0点こそ取らなかったけれど、運動は全然だめ。おっちょこちょいで、気が弱くて、いじめっ子に追い回される毎日でした。だから、失敗談はいっぱいありますが、今回は、ま、それほどひどくない話を書きましょう。なぜって、ぼくにも自尊心というものがあるからね。

 ドラえもんの"のび太"は、ちょいちょい穴に落ちます。どぶ板をふみはずしたり、マンホールにとびこんだり。あれは、ぼくの体験がヒントになっているのです。
 転落の歴史は、三歳ごろの記おくから始まります。遠い昔のことではっきりとは覚えていませんが、どうやらぼくは、公園のふん水池を囲むコンクリートによじ登って、ちょこちょこ歩いていたらしい。つな渡りでもしているつもりで、スリルを楽しんでいたのですね。かなりはば広い平面が続いていたから、ふみはずすはずもなかったのですが、そこが"のび太"ですから、次のしゅんかん、ぼくは池の底から、きょとんと水面を見上げていました。近くにいた父が、あわてて池にとびこんで、ぼくを拾い上げてくれました。

 下水にふみこんだりなどという、こまごました事故は省略。次は小学四年生の冬です。夕やみせまる広い道を、ぼくは目をつむって歩いていました。だけでどれくらいまっすぐ歩けるものか、実験していたのです。そのころは車も少なかったので、こんなことができたんですね。そのうち、歩きながら眠ってしまったらしいのです。ハッと思ったとき、ぼくは水の中でもがいていました。防空ごう(空しゅうのとき、にげこむための穴。町のあちこちにほってあった)に落ちたのです。
 体をすっぽり包むマントを着ていたので、うでの自由がききません。うつぶせのてるてるぼうずみたいにもがいているところを、母に助けられました。

 中学二年生の夏。ぼくは夜道をひらりひらりととびながら、家路を急いでいました。何の工事か、道はほりおこした土の山だらけで歩きにくかったのです。ぼくは、それらの小山をひらりひらりととびこしながら、自分の身軽さに得意でした。ひときわ高い盛り土を、力いっぱいクリアーしたとたん…、ぼくは深さ二メートルの穴に横たわり、星空をながめていました。しばらくは、息もできません。立って手をのばし、やっととどいた穴のふちから、どうやってはい出したものやら……。
 教訓。こんな"のび太"でも、藤子・F・不二雄ぐらいにはなれる。全国の"のび太"諸君、希望を失わず、明るくがんばろう!!

(小学館「小学四年生」1989年10月号「あッやっちゃた ぼくの失敗わたしの失敗」より)